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しものせき定住情報!-移住者の声
移住された方々から、下関の感想や移住される方へのメッセージです。。
・ふるさとの原風景を次世代に残したくて。 (藤岡さん)
・情熱で拓く、新たな芸術世界。 (Ericさん)
・のどかな田園で田舎暮らしカフェ。 (猿渡さん)
・自分が変わって初めて気づいたふるさとの本当の良さ。 (中村さん)
ふるさとの原風景を次世代に残したくて。
藤岡 基昭さん
東京都 ⇒ 豊北町
- Uターン当時の年齢 39歳
- 移住歴 30年
- 現在の職業 農業
- 家族構成 本人、妻、母親
とにかく一度足を運んでください。インターネットで情報は氾濫していますが、現地に行き住んでいる人の声を聞いてください。
移住する前に、頼りになる人を作ること・核となる人とのつながりが移住する前に出来あがれば移住後の地域への溶け込みも早いと考えます。
移住者に頼りにされる定住サポーターになれるようただ今努力中。
農家の長男としてUターンは当然と考えていました。戻って再就職を考えたとき、40歳まででないと・・・と感じていた為39歳で故郷へ帰ってきました。
田植えから稲刈り体験、そばの栽培から製粉、そば打ち体験を通じての都市・農村交流に生きがいを見出しています。
過疎高齢化が進んでいく現状に、このままではだんだんと寂しい地域になっていくのではという危機感を感じました。
情熱で拓く、新たな芸術世界。
Eric ATZORI(アッヅォリ エリック)さん
フランス・パリ ⇒ 豊浦町
- Iターン当時の年齢 35歳
- 移住歴 15年
- 現在の職業 陶芸家・フランス語&スペイン語講師
- 家族構成 本人、妻、子(1人)、義父母
33歳の時パリの陶芸教室で、ろくろによる陶器づくりと運命的な出会いを果たしました。それ以来、私の陶芸に対する思いは募るばかり。どうしても陶芸王国・日本で創作をしたくて、フランスで知り合った日本人の妻を説得し、彼女の故郷である豊浦町で陶房を開くことにしました。
15年暮らしてみて、日本の他の所と比べてみると非常に自然災害が少ないように思います。人々や景色がとても美しく、非常に心地よいところです。
私のような異国からの人間を、何のためらいもなく迎え入れてくれました。私は、豊浦町という土地に恵まれると同時に、人にも恵まれました。
生粋のパリジャンで常に都会で生活してきたにもかかわらず、すんなりと豊浦町での生活に違和感なく溶け込めたことです。
のどかな田園で田舎暮らしカフェ。
猿渡義博さん
福岡県 ⇒ 菊川町
- Iターン当時の年齢 55歳
- 移住歴 5年
- 現在の職業 飲食業(カフェ経営)
- 家族構成 本人、妻
気候や風土などその土地によって色々違いますから、気になる土地が見つかったら四季を通じてリサーチされた方が良いかと思います。特にその土地の人達に気になることを直接聞いて確認したら良いですね。それと良く言いますけど、「郷に入っては郷に従え」ですね。こちらでは定期的に神社と公民館の掃除や地域内の缶拾いがあります。勿論、皆勤賞です。
福岡に住んでいた時、近くに市民農園が出来たので直ぐ応募していろんな野菜を栽培してみました。野菜作りは初めてですけど、色々勉強しそれなりに良いものが出来まして、そのうちもっと広い場所で野菜を作ってみたくなりました。そうすると作った野菜をどうするか色々と考えた末、飲食店を開いてそちらで野菜を消費しようと考えました。それから福岡県を中心に隣接する県を含め開業出来そうな土地を色々探した結果、「下関市菊川町」に理想的な場所がありましたので移住を決めました。
「菊川町」は現在、市町村合併で下関市ですけど、旧郡部だった所ですから自宅の周りは田園と山が沢山あり、のどかで気持ち良く過ごせています。それに隣との距離が結構ありますから、周りを気にしなくて良いですね。それと近くの農家から、時々ですけど我が家で作っていない野菜・果物や山で採れたタケノコなど頂いています。あと、町内に「道の駅」や「農産物直売所」がありますから、色々助かっています。
田舎に移住するので、近隣とのお付き合いなど不安はありましたけど、思ったほど問題は無く、皆さんと気持ち良くお付き合いさせていただいています。それとこちらは「下水道」が整備されていますから、トイレが水洗だったので驚きました。
自分が変わって初めて気づいたふるさとの本当の良さ。
中村幸一さん
福岡県 ⇒ 蓋井島
- Uターン当時の年齢 26歳
- 移住歴 6年
- 現在の職業 漁師・民宿経営
- 家族構成 本人、妻、子(2人)、両親、祖母
島には遊ぶ所もなく、本土に居る友達と疎遠になるようで、若い時は淋しかったこともあり、本土にある調理師学校に通いました。
島を挙げて、オーストラリア原産エミュー牧場を始める事になり、島民から「若い力が必要だ。手伝ってほしい。」と依頼され、帰ることを決めました。
ふるさとは、とても良いところ。たまには帰ってきたらいい。近所のおじさんと話してみたら、今まで気づかなかった、日本の良さ、ふるさとの良さに気付くはず。
子供はのびのび遊び、島のみんなで子どもを見守ってくれている。島のみんなが家族のようだ。
具体的に言い表せないけれど、自分の中の何かが変わった。若い時には嫌だったこの土地が本当はとても住みやすく、生活しやすい環境だった。このことに気付いただけでも島に帰ってきて良かった。